オリジナル御朱印帳のデザインの「ひみつ」

6月から当社オリジナル御朱印帳の頒布をはじめました。以前から温めていた構想がようやく形になった今、その感慨もひとしおといったところです。

 

今回はそのデザインの「こだわり」についてお話ししたいと思います。

 

皆さんは「雅楽」(ががく)をご存じでしょうか?神社の境内などで耳にする、ゆったりとした音色の曲です。特徴のある音とリズムが印象的です。我が国で古くから継承されてきたこの音楽を「雅楽」といいます。「雅楽」の演奏形態のうち、楽器のみで演奏することを「管弦」(かんげん)、舞を伴うと「舞楽」(ぶがく)と呼びます。

 

舞楽には種類がたくさんあり、それぞれにいわれや背景(ストーリー)があります。当社の御朱印帳のデザインは数ある舞楽の中から二つの舞「散手」(さんじゅ)と「陪臚」(ばいろ)がモチーフとなっています。

 

この二つの舞と、当社の接点は御神体である「鎮懐石」です。ではそのつながりとは…。

 

「散手」は三韓征伐の様子を舞にしたものと言われています(諸説あり)。三韓征伐は『古事記』や『日本書紀』にも記されており、神功皇后が朝鮮半島の広い地域を平定した戦とされています。当時、神功皇后は応神天皇(八幡様)を身籠られており、戦の最中にお生まれにならないよう出産を遅らせるための石、「鎮懐石」を身に付けられ出征し、戦後無事に九州に戻られて出産されました。舞人のモデルは率川明神とされ神功皇后ではありませんが、面をつけ槍を持った舞人が船の舳先で将兵を指揮した姿をあらわす勇ましさや威厳を感じさせる舞となっています。その装束の胸部には大きな紋が一つ。舞を象徴するこの紋が、御朱印帳の表紙に織り込まれているのです。

 

一方「陪臚」には管絃と舞楽があり、舞楽の場合は4人で舞われます。戦いにおける陣をかたどったものといわれ、陣形を変えながら舞う迫力ある勇壮な舞です。古くは戦を勝利へと導く舞とされました。舞人は楯と鉾を持って舞台に登り、太刀を抜いて勇ましく舞います。楯の上部は火炎を模し、金地に牡丹の絵が描かれています。

 

聖徳太子は仏教に反対する物部氏を討つ時、出陣前に「陪臚」を演奏して勝利を得たと伝えられています。また、陣中の守りとして「鎮懐石」を携えて東北地方に出兵した源義家・義光は合戦ごとに陪臚を奏し、勝利を得たと伝えられています。

御朱印帳の裏表紙には「陪臚」で用いられる特徴的な楯の形を織り込みました。

 

時代は異なりますが、当社の御神体である「鎮懐石」がそれぞれの物語の中で語られ、現代にいたるまで伝承されてきました。九州の地ではじまった「鎮懐石」にまつわる物語は東北地方まで広がりを見せ、最終的にはこの地、北信濃の地へと至りました。長きにわたり当社の御神体として数多くの参拝者の想いや願いを受け止め、それは今なお続いています。そんな壮大な物語の一端を御朱印帳にあらわしました。

 

背景に用いた市松模様は我が国古来の伝統模様として知られており、正方形を格子状に並べたデザインは上下左右に途切れることなく続き、終わりのないイメージであることから「永遠」や「繁栄」の意味を持つといわれています。そこから転じて「子孫繁栄」や「事業拡大」などに繋がる縁起の良い柄と言われています。当社の御祭神の御神徳・御利益をデザインとして具現化しているのです。

 

ご参拝の節は是非お手に取り、そこに込められた物語を感じ取っていただければと思います。

舞楽「散手」

舞楽「陪臚」