3月から始まった長野市若槻地区の各神社での祈年祭(きねんさい)ですが、先週末の三登山神社での祭典をもって全て滞りなく斎行することができました。
祈年祭とは「としごいのまつり」ともいわれ、“とし”とは古代において穀物、特に稲そのものや稲の実りのことを意味しました。したがって祈年祭は「稲の実りが豊かな収穫の秋をお迎えできますように」と神様にご祈願するお祭りということになります。
神社や神様と稲(お米)との関わりについて考えてみると、そのつながりの深さに改めて気づかされます。そんなつながりを感じさせてくれるお話をいくつかご紹介します。
稲は天界からの授かりもの
古事記には高天原(たかまがはら)という天界にいらっしゃる神様方から伝えられたご命令の言葉である「神勅(しんちょく)」がいくつか記されています。その中の一つ「斎庭稲穂の神勅(ゆにはいなほのしんちよく)」は、天照大神からその御子孫たる天皇にむけて伝えられたお言葉です。「私が高天原に作る神聖な田の稲穂を、わが子に授ける事としよう」といったお言葉です。歴代天皇は、この地上の世界にもたらされた高天原の聖なる稲穂をもって、わが国を豊葦原の瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに:神意によって稲が豊かに実り、栄える国)とすることを理想とされ、現在に至るまで連綿とそのお役目を果たされています。
神様のお食事
神事で神様にお召し上がりいただくお食事を神饌(しんせん)といいますが、神饌にはおおよその種類と順番が決められています。
「米、酒、餅、雑穀、魚介、鳥、獣、海菜、野菜、菓物、塩、水」
実に上位から三番目までがお米に関するものとなっています。神様という尊いご存在に対し、まず初めに差し上げることからも重要視されていたことが分かります。
初穂料の語源
最初にお供えするお米にも、正確にはいくつか種類があります。荒稲(あらしね:もみがついたままの米)、和稲(にごしね:もみをすりとった稲)等です。
荒稲を俗に初穂といいます。神社に御供えする金銭のことを初穂料(はつほりょう)といいますが、まさにその初穂ことです。
昔は稲の穂を抜いて束にして、初めて収穫された稲穂(初穂)を神様にお供えしたそうです。その初穂の束がお金の代わりとして支払いにも使われていたともいいます。
ご遷宮が20年ごとに行われる理由はお米の保存期間が理由だった説
伊勢神宮では20年ごとに御遷宮が行われています。なぜ20年ごとなのかということについては諸説ありますが、その中の一説としてお米の保存期間に関する話が伝えられています。神宮に納められる米を、最も長く保存できる形態である糒(ほしい:干した飯の意)にすることで20年保存することができたそうです。したがって保存期間を終えると倉庫を新しく建て直した、という行為の繰り返しが結果として20年という年数の区切りになったというものです。
注連縄が表しているもの
注連縄といえば神社や神棚には欠くことのできないものであり、ご神域という聖域を守るための結界としての役割があります。その注連縄の独特な形が表しているものについて以下のような説があります。
「注連縄の本体は雲を、〆の子(細く垂れ下がっている藁)は雨を、紙垂は稲妻・稲光を表わしている」
稲の結実の時期に稲妻が多いことから、稲妻が稲の豊作をもたらすと考えられていました。ちなみに稲妻とは「光」のことを意味します。「音」のことは雷といい、そしてその語源は「神鳴り」だといわれています。俳句では稲妻は秋の季語、雷は夏の季語とされています。
いくつかご紹介しましたが、まだまだあると思います。“年”や“歳”という字を用いた神社や神様に関する言葉を探ってみると新たな気付きや発見があるかもしれません。皆さんも探してみてはいかがでしょうか。